KYOSEN.COM
HOME ネットショッピング 海外ショップ情報 今週の遺言 ワイン好きクラブ お問い合わせ

第150回
たしかに天才だったがとうとう志ん朝を超えずに逝ってしまった立川談志

2011年12月17日号

 立川談志が死んだ。「やっぱり」と思った。彼が喉頭がんを患いながら、声帯摘出手術を拒否したという記事を読んだ時、助かるまいと感じていたからである。当然それは話術家としての彼の美学であるから尊重するが、何でも「切って下さい」と手術してしまうボクとは人生哲学が違う男だった。ボクは無神論者で、前世も後世も信じない。一回きりの人生だから、「生き永らえる」ことに勝るものはないのである。自殺願望まであった談志とは、相容れないところがあった。
 今年になって体調を崩し、すべての仕事をキャンセルしながら、本誌のコラムだけは続けるとの記事に接した時も、別の感慨があった。たとえ声が出なくなっても、何か発信の場をもっていたいという、切ない願いだったのだろう。だから数ページ違いの彼のコラムは毎週読んでいた。相変らず他人に関してはいい加減な事を書いていたが(ボクは「ミス日本」と結婚などしていない!?)、映画や曲のことは、本当によく憶えている男だった。半世紀近く前、飲み屋で議論になった事を思い出して、本誌を前に苦笑したものだ。
 セミリタイアして21年、外国生活が主になり、旧友とのつき合いは誰とも激減していて、談志とも30年近く会っていなかったと思う。しかし彼とのつき合いは古かった。まず半世紀前の’60年前後までさかのぼる。早大の新聞科の1年後輩に、武川伯という男が居た。残念ながら夭折したが、ボクはとても可愛がっていた。理由は三つ、麻雀とジャズと落語が好きだったからである。卒業後’57年に、朝日放送に就職した。’59年頃だったと思うが、武川から電話があり、やっと自分の番組がもてたから相談したいと言う。その頃有楽町の日劇の隣りにあった局に出かけ、二人でいくつかの番組を作った。
 そのあとよく麻雀をしたが、彼の上司だったMさんをはじめ、強い打ち手が居た。時々タレントも入ったが、その一人が当時「小ゑん」と言った談志だった。結構巧かったが、印象としてはその後の酒場でのしゃべりの方が強く残っている。両国生れのボクは、相撲と落語の中で育ったようなもので、その頃はもう「たらちね」、「千早ふる」、「じゅげむ」などネタを五つくらいもっていた。当時落語の若手四天王などといわれていたが、ボクと武川(彼は落語番組も作っていた)との間では、1位が朝太(のちの志ん朝)、2位が小ゑん、3位が舛蔵(現圓蔵)で、全生(のちの圓楽)は落ちると、意見は一致していた。
 談志はボクより2歳下だが、当時はお互いに20代なかば、生意気盛りだったので、よく議論をした。今となっては懐しい思い出だが、落語の将来に否定的なボクに対して、古典と現代の乖離を解決するのが、われわれの役目と言う談志の理論は一聴に値したと思う。当時のボクはジャズ評論家で、次第に放送作家へと移ってゆくが、彼も談志を襲名し、徐々に売れっ子になってゆく。
 ’63年にボクは「今晩は裕次郎です」という番組の作構成を手がける。そして石原裕次郎と飲み歩くようになった。そんなある夜、四谷にあった「エキゾッカ」というクラブで、麻雀をしていた(この店にはそういう部屋があった!)。あとのメンバーは故芦田伸介さんと談志だった。バーの方から声がかかり、裕ちゃんは立って行った。すると兄の慎太郎さん(現都知事)の声が聞えた。「あんな連中とツキ合っているから、最近のお前はダメなんだ」「いくら兄貴でも、オレの友達はオレのもんだ。そんな事言われる憶えはない!」、裕ちゃんは怒鳴り返した。そして部屋に帰ってくると、われわれに「すみません、お聞き苦しいところをお聞かせして。けったくそ悪いから飲み直しましょう」。それから4人で新橋にあった、ホキ徳田のバーへ行ったまではよく憶えている。
 面白いのは、この時点では、談志と石原慎太郎氏の間に接点はなかったのである。談志が参議院議員に当選したのが’71年だから8年も後の話である。無所属で当選してから自民党入りしたのだから、この時はすでに石原さんとのつながりがあった。のちに盟友とも親友ともいわれた二人の交遊は、いつごろ始まったのであろうか。
 さて立川談志は、間違いなく天才であった。話の歯切れの良さ、テンポ、創意工夫は、小ゑん時代から光っていた。ただ一人を除いて、誰も彼の右に出るものは居なかった。その一人とは、今は亡き古今亭志ん朝である。この二人の差は二つ目時代、前述の武川とのランキングに現われていたが、真打ちになり、大名題になってもつまらなかった。現在全落語家、評論家らで投票しても、全く変らない結果が出るだろう。
 その差は何処にあるのか。話芸家としての才能ではないと思う。二人の性格から来たのではないか。どんなに巧みに演じても、談志の落語には「知」の影が見えてしまう。志ん朝にはそれがない。何とも自然にわれわれを明治や江戸の街角に連れて行ってくれる。たまに現代風のくすぐりが入っても、全く邪魔にならない。だから平成生れの人には、志ん朝の落語はもう通じないかも知れない。談志はそれを通じさせようとして、達成されないまま逝ってしまった。
 かつてボクはビートたけしと親交があったが、たけしは談志とも親しくしていた。ある時ボクはたけしに、「談志どうだい?」と聞いてみた。たけしはひと言「学歴コンプレックスのかたまりですね」と答えた。たかが私立大中退のボクやたけしに対してかね。そう考えたボクは、何だか志ん朝を超えられない談志の秘密をかい間見た思いがした。「天才は天才を知る」かね? 合掌。

今週の遺言

※今週の遺言は、講談社「週刊現代」にて毎週好評連載中です。